まずはガッキーのCMから。
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トーチカは太平洋戦争当時、旧日本軍が米軍の上陸に備えてコンクリートなどで造った防衛陣地で、網走、根室、釧路、十勝などのおもに海岸、海岸を見下ろす高台などに残っています。
根室市博物館開設準備室紀要 第13号によりますと、トーチカの建築の経緯は次のような事です。
『戦況が悪化した昭和18年(1943年)6月、陸軍は米国の本土来攻を予想して国土防衛のための「特設警備隊」を編成しました。
大本営内は米軍の来攻を北東のアリューシャン方面からと判断し、「北東方面作戦陸海軍中央協定」を発令し、千島列島、北海道等の帝国本土防衛作戦を示しました。
道東南部地区(根室、釧路、十勝支庁)及び国後、色丹、歯舞群島は第32警備司令官の担任とされ、その中で第5方面軍は道東地区における米軍来攻に備え、道東南部地区の防備を固めるため沿岸陣地を構築することとし、昭和19年4月初め第31及び32警備隊に築城費を支給し、作業に当たらせました。これらの陣地の目的は、敵の小規模な上陸は水際で撃退し、やや規模の大きな上陸については旭川等からの主力軍が来るまで所要地域を確保し、その後の作戦を有利に進める事でした。』
参考文献 :
< 根室市博物館開設準備室紀要 第13号 1993,3 > 旧日本軍本土防衛陣地遺跡現況調査報告書…根室半島に所在するトーチカ群を中心に…(北方地域研究会)
結局米軍は南方の沖縄に上陸、沖縄が泥沼の戦場と化し、また沖縄以外のほとんどの都市も米軍による幾度とない空襲に見舞われ、日本はこれに応戦する力も無く、ついに米軍によりヒロシマ・ナガサキに人類史上初の原子爆弾が投下され、1945年8月15日、昭和天皇の玉音放送により日本国民は終戦を迎えた事を知りました。
これらトーチカなどの陣地は一度も使われる事は無く、戦後60年以上人知れず時の流れに流されながらも、日本がかつて戦争の時代を過ごした頃の記憶を残す場所なのです。
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以上は、ネットより拾い画です。
根室の納沙布岬に行く途中の道道沿いに見えるんですよ。
時間が無いので近くまで行かなかったのですが。
それを過ぎて歩いて行くとガッキーが見ている海岸線が見えるんですね。
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上は僕が撮った写真です。
戦争のための施設が数十年後にはCM撮影のロケ地になった。
やはり平和が一番ですね。
ということで、本日は終わりです。
また明日ね。
したっけ~!!!