本棚あさってたら、こんなの出てきた\(゜□゜)/ わお!
『とかち新聞』
あの松山千春さんのお父さんが作っていた新聞(本当の)なんですよ。
ウィキによると。
父・明は、1954年に足寄町でたった一人で旬刊紙『とかち新聞』を創刊し主筆を務めた人物(なお同紙は1984年に休刊した)。しかし経営(=家計)は苦しく、特に1965年には当時の足寄町長の不正を紙面で取り上げたことで裁判沙汰となり、町長からの圧力で購読者数が大きく減少し、松山も納豆売りをして生活費を稼がねばならないところまで追い込まれた(なおこの裁判は1969年にとかち新聞側の勝訴で終わっている)。松山は足寄高校では卒業時に首席となるなど成績は優秀で、担任からは大学進学を勧められていたが、このような苦しい家計を踏まえ「早く働いて父を助けたい」との考えから大学進学を断念している。
ということですが、
息子の千春さんが有名になると、ファンクラブの会報のようになっていたと思います(笑)
昭和57年(1982年)9月25日発行の新聞です。
昔、足寄にドライブに行った時に足寄駅で購入したんですよね。
ということで、
懐かしくなって古いアルバムを見返してみました。
最初、この時かな?と思ったんですが、1985年に行った時の写真でした。
一緒にもらってきた上のチラシを見ると、昭和57年(1982年)10月11日とあるのでもっと前だな?
あれ?
これより前に行ったとこあったっけ?
って思いながらアルバムを探すと、
ありました(笑)
この時ですね。
千春さんの看板も、フサフサです(笑)
そして、
今と違って古い家ですね。
足寄駅の写真も出てきました。
てか、
まだ古い足寄駅ですね。
ちなみに、
僕は、まだまだ新しかった(ぷ)
この映画では、家はもっとボロだったんですね。
原稿を書いていた事務所兼居間だったのかな。
といことで、突然、松山千春さんお話題でした。
おわり