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まりっかの映画は明日からだね & 乃木坂46箱推しのブログ

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伊藤万理華が語る“演じる”ということ「死ぬまでたぶん忘れない、15歳の一番鮮明な記憶」

 

推しは勝新太郎、時代劇をこよなく愛す女子高校生が、最後の夏休みに個性的な仲間たちと映画作りに挑む様子を映し出した青春映画『サマーフィルムにのって』が8月6日に封切られる。

本作で主演を務めているのが、元・乃木坂46の伊藤万理華だ。猫背でガニマタ、一見すると変わり者だけど、あふれ出す時代劇愛で周囲を惹きつけるハダシ役を見事に演じ切った。

放送中の主演ドラマ『お耳に合いましたら。』も好評な伊藤万理華に、“演じる“をテーマに話を聞いた。

 

「とにかく撮り切らなきゃ。そんな想いだけでやっていました」

元・乃木坂46の伊藤万理華主演の映画『サマーフィルムにのって』が素晴らしい。

 

高校映画部のアウトサイダー、ハダシが、部員ではない面々と非公式の映画『武士の青春』を作り、文化祭で上映するまでを、なんと未来人の来訪(未来からやって来た凛太郎が『武士の青春』の主演を務める!)も交えながら描いた、まったく新しい青春劇。これまでの部活映画や、映画制作物語にありがちな展開やテイストが皆無で、絆を叫んだり、マニアックになったりすることも一切ない。ソーダ水のように粋な爽快感の理由は、主人公ハダシの人物造詣にある。

時代劇、それも勝新太郎好きという極端な女子高生でありながら、ただの堅物でも、映画おたくでもない、独特の個性を有した女の子として、伊藤万理華はハダシを体現。モヤモヤした鬱屈を抱えているが、マイペースな惑いがうしろ向きに逆走する瞬間、彼女だけのエナジーが放射される。その様がなんとも気持ちよく、この潔さに導かれながら体験する97分はあっという間。設定も含め、ちょっとしたタイムマシンに乗った気分にもなる。

 

別人ですね。
開口一番、伊藤万理華本人に伝えると、「えー、褒められてる、褒められてる! えー、そんな、そんな、うれしい」と素直な笑みがこぼれた。

彼女は、ハダシという人格を完全に創り上げていると思った。たとえば、動き。ハダシが何かしゃべるより先に、彼女が何者なのかがわかる、感じる。私たちは、そのとき、世界でたったひとりのハダシという存在を知るのだ。

「あの挙動、猫背でガニマタで、っていうのは、監督から指定があったわけではなく、最初に脚本を読んだときに、何となく思ったことで。ハダシっていう名前からして、ちょっと現実味がないじゃないですか。得体の知れないところがあって。17、18歳にしても子供っぽい言動。走る、裸足で駆け抜ける。たぶん、女の子だから、男の子だから、そういうのもない。
私も、高校の時はもう乃木坂に入ってたんですけど、もし普通に学生生活を送っていたら、恋愛じゃなくて、ものづくりに走ったりしてる、と思うし。身だしなみとか絶対気にしてないんですよ。その感じがわかるから。きっとハダシはこうだろうと思ってやったら、ああなっちゃった(笑)。意識的に、ああしなきゃ、こうしなきゃ、というのもありませんでした。しゃべってたら、自然とああなりました」

 

女の子でも男の子でもない感じはありますね。

「まあ、女の子だけど、何かやるときは、女の子らしさとか、男の子らしさとか、そういうこともなく。ただ好きなことを熱心にやってる子。キャラクターづけしちゃうのも違うけど、でも、どうしたら自然と、このハダシという女の子を観てる側が、より受け入れられるんだろう?と。自分が観てる側だったら、どうしたら受け入れられるかな? そういうところは客観視しながらやってはいました。
ただ、それどころじゃなかった。主役としての役割というより、ずっと出ずっぱりで。何よりも映画作りに専念しなきゃ、という気持ち。(劇中の映画)『武士の青春』も、『サマーフィルムにのって』も、とにかく撮り切らなきゃ。そんな想いだけでやっていました」

その一念が、あの迫力を生んでいたのかも。

「それだけしかアタマには入っていなかった。そのこと以外は何も考えてなかった」

 

「私は私でしかない唯一無二の何かである」

ハダシは、無垢のプロフェッショナルだ。そして、それ以上に、ハダシという一個の生き物。うっかりすると何歳かも忘れるほどだ。私たちが、動物の年齢などさほど気にしないように。

「人と関わることが、自然な動きになるといいなあと。当たり前に自然にやっていることとして成り立つといいなあと思っていました」

ハダシは、時間差である感情に気づきますね。

「気づくのが遅かった。でも、わかんないよなあって、たぶん初めての感情だから。でも、それを知ることで、受け入れられるようになったこともあるわけで。そのリアリティラインは意識しました。(脚本の)三浦(直之=劇団「ロロ」主宰)さんが紡ぐ言葉は、すごく繊細で難しい。現実ではなかなか口にしづらいことを言ったりしている。
でも、ハダシが言ったら受け入れられるかも、という状態にならないと(映画に)ついていけないじゃないですか。なんかずっとしゃべってるけど、何言ってるかわかんないな、この子。ってなって、(観客が)離れていったら、ほんとに意味がないから。とにかく、ハダシは何かを一生懸命訴えてる。三浦さんが込めた想いがちゃんと乗るといいなと思いながら」

 

何度か出てきた「受け入れられる」という言葉が印象的です。これ、表現する上で大切にしていることですか?

「グループ時代にアイドルやってた経験も大きいのかな。伊藤万理華という名前のアイドルなわけですが、性格とか隠しきれないんです。どんなにキャラクターづけしようとしても、出ちゃうんです。無理なんです。でも、それを受け入れてくれるんだと知った。その自分、すごくイヤだったけど、それが『よさ』なんだと知ったとき、自分も受け入れられるし、自分が受け入れられたことで、やっとファンの人と通じ合える感覚になっていった。自分が好きな『こう見せたい』というところと、客観的に『万理華はここがいいから好きなんだよ』って言ってくれることは違う。
グループに6年いたけど、このことに気づけたのがすごく遅かった。卒業する2年前とか(笑)。イヤな『自分』も、みんながいいって言うなら、きっとこれも「よさ」なんだ。20歳くらいに気づいたことは関係あるかも。(『受け入れられる』という言葉を使うのは)癖です……」

それから楽になりました? 軽くなりました?

「はい、全然違います。全然楽になった。今回の作品、初号(の試写)を観たとき、『私って、こんなふうに見られてるんだ』と。演技も、顔の表情も、いいね、とか思えなかったんです。でも、今日も、ちゃんとハダシだよ、って言ってくださるわけじゃないですか。そうか、私のよさって、この年齢(現在25歳)でも学生としてやれるところなんだ。挙動もおかしいし、顔グセもあるし。でも、アイドルのときよりも、何かを破った自分を、今は受け入れられるようになって。だから、すごく感謝しています。恥ずかしいけど、これが私なんだなと」

 

こう見せたい、だけが表現じゃないんですね。観客が求めているのは、セルフプロデュースされ切っているものだけじゃない。

「(表現は)自分がいいと思うものだけじゃ、成立しないから。完璧なもの──自分のいいところだけ見せたいという時期もあったけど。でも、私が惹かれる人って、人間臭いところがある人。なんかカッコ悪くても、ただただ全力で打ち込んでる人。この作品に出てくる人たちにも通じるんですけど。好きなことをとにかく一生懸命やってる人。ものづくりしてる人。そういう人に惹かれる感じは、ずっと変わらずあります。
私自身、表現の上では素っ裸っていうか。ばーっと全部見せてるわけじゃないけど、かわいく見せなきゃとか、そういうキャラでもないし。きれいとか美しいとかじゃなくて、私は私でしかない唯一無二の何かである。それを受け入れられるようになりました」

 

演じるとは?

伊藤万理華にとって、演じることって?

「やってるときはすごく楽しいし、その時間が好きです。映像の現場で、セリフを自分の言葉で出すのは、すごく好き。その時間が好きだからやれています。作る側の中にいる演者。作る側でいたい。このスタンスを忘れたくない。この気持ちを忘れたくない」

ものづくり、なんですね。

「そう思います。女優も『ものづくり』の一部だなって、私は思ってる。それが当たり前だと思っているから。その意識でいたい」

 

ハダシって、カテゴライズされてないですよね。ハダシは、ハダシでしかない。

「もう、泥臭いんですよ。もう、ただただ人間。ただただ走って、好きだからやってる。ただ、それだけ。それを撮られた感じかな」

オリジナルな存在です。そして、伊藤万理華には、伊藤万理華にしかできないことがあると思います。

「私、本当に恵まれてて。グループで一番最初にやった(映像)作品が、メンバーと一緒のMVではなく、個人MVだったんです。監督対私。1対1。ショートフィルム(『ナイフ』。柳沢翔監督)。15歳。アイドルになって一番最初にやったことがそれだったから、そのときから基本的に表現に対してのスタンスは変わっていないんです。あのときの高揚感。現場の匂い、空気感。監督と対話すること、コミュニケーションを取ること。15歳の一番鮮明な記憶。
たぶん、私、これ、一生やっていくんだろうなって。もう10年前なんですけど、その感じがずっと残っていて。あのときの演技は今、同じようにはできないと思うんですけど、あの感覚はたぶん死ぬまで忘れないから。現場で一体になる感じ。ただの一部になる。そのスタンスがハダシにつながっていると思います」

表現とは、受け入れられる自分を受け入れること。
表現とは、全体の一部になること。

伊藤万理華の名言ふたつは、確かに響きあっている。彼女だけのハーモニーだ。

 

 

 

 

映画『サマーフィルムにのって』

 

勝新を敬愛する高校3年生のハダシ(伊藤万理華)。キラキラ恋愛映画ばかりの映画部では、撮りたい時代劇を作れずにくすぶっていた。そんなある日、彼女の前に現れたのは武士役にぴったりな凛太郎(金子大地)。すぐさま個性豊かな仲間を集め出したハダシは、文化祭でのゲリラ上映を目指すことに。青春すべてをかけた映画作りの中で、ハダシは凛太郎へほのかな恋心を抱き始めるが、彼には未来からやってきたという秘密があった──。

2021年8月6日(金)より新宿武蔵野館ほか全国公開
監督・脚本:松本壮史
出演:伊藤万理華、金子大地、河合優実、祷キララ
配給:ハピネットファントム・スタジオ
(c)2021「サマーフィルムにのって」製作委員会

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後で読みたいから転載しちゃった。

 

本日は他力本願のブログでした。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ということで、最後は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

与田ちゃんは、可愛いね~(不定期)

 

 

 

 

 

それではまた明日、したっけ~!!!

 

 

 

 


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